「主イエスが足を洗ってくださる」   08.10.12
                         ヨハネ 13:1〜20
 主イエスが十字架にかかられる前夜、最後の晩餐の席で、主イエスは、
弟子たちの足下に跪くようにして、ひとりひとりの足を洗いはじめました。
突然の予想外の出来事に、戸惑いが広がったに違いありません。
 主イエスは、最後の晩餐の席上で、ご自分の「十字架の死」の
意味する所を弟子たちにお伝えになりました。パンと杯を取って、
ご自分の裂かれる体と流される血が、私たちの救いであることを
お示しになり、その恵みを記念する聖餐式を制定されました。
 そして、弟子たちの足を洗うことによって、十字架の死によって
私たちに何がもたらされるかをお示しになります。それは「あなたの
罪の汚れを取り除く」ということです。主イエスの十字架の死によって、
神さまに背く罪をはじめとし、人を愛することのできない醜い罪の心など、
私たちの罪の一切が洗い清めていただけるのです。「見よ、世の罪を
取り除く神の小羊だ」と言い表されていたとおりです。
 弟子のペトロは、主イエスに足を洗ってもらうことを辞退しようと
しました。申し訳ないと思ったのでしょう。しかし、主イエスは「もしわたしが
あなたを洗わなければ、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と
おっしゃいます。人は罪人のままでは、主イエスと共に歩み続けることは
できません。しかし、罪を取り除くことは、罪ある私たちにはできないのです。
主イエスに洗っていただくことなしに、人は神さまの前に生きる者にはなりません。
私たちは、主イエスに罪を抱えた身を差し出すのです。遠慮するのでなく、力を
抜いて身をお委ねすることが、私たちのなすべきことです。
 主イエスは「互いに足を洗い合いなさい」とおっしゃいます。
兄弟姉妹に心を配り、足を洗い合うのが教会です。
 私たちが十字架にかかることはできません。
 しかし、主イエスの眼差しを想像しながら、支え合うことや、
洗い清められた救いの確かさを分かち合いながら、ぎこちなくても
洗い合う者でありたいのです。